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始まりの終わりは始まりなのか?

すべてフィクションです。

象徴主義

象徴主義者になりたい。

 

ある人の頭の中がPDFで送られて来たので、読んだ。衝撃だった。絶望はしなかった。でも、なんでこんなに思想が深いんだ。私なんてペラペラでふやけてる、具のないワンタンでしかない。こんなんでハタチだ。笑ってくれ。明かしたくないことが多すぎてその場しのぎで言い訳する馬鹿な私をみんな笑ってくれ。こんなハタチになるつもりなかった、きっと中学生の私が泣いてしまう。あの中学時代のサイテーでチワワみたいにいつも私の悪口を吠えやがるあの野郎みたいに今、ぬるく生きてる大学生の私を、そんな私の曇った鏡を早く磨いてあげないと。高校卒業後にわかった私はあの子の中の私が欲しかったのだと、今はもう音信不通のあの子だけどきっと電波に乗せて話しかけてくれるはずだと。それでもあれは愛だった。私なりの幼稚園児並みの愛だったんだ。普通で万歳。個性なんかどうでもいい。そんな言葉で人を縛りつけないで欲しい、個性なんて声に出した途端腐ってしまう。今更個性なんて言葉に鮮度はない。みんな飽きてる。仕方なく使ってる。個性的なメンバーなんて笑わせないで欲しい、その字面からそいつらが普通の人間であることがわかる。それが楽しいなら別にそれでもいい、くだらねえ言葉の戯れだ。ランボオになりたい。でも才能ない。きっとなれない、真似にもならない。ランボオを越えられる詩を読んだことない。生きてるうちに会いたい。早く出て来て。待ってる。つまらない話だけはごめんだ。自慢も飽きた。解説も飽きた。他人の評価とかも飽きた。他人から聞くの全部飽きた だから張本人から聞きたい。本当に思ってることなんて言えるはずない。言えたらこんなとこでこんなん書いてない。言ったところでそれは弱みになる。書いてても弱みになる。知ってる。知ってるつもりかも。本当のことなんて知らなくて良い。演じてもらってて全然構わない。象徴主義なんてね、表現考えるだけで時間かかるから会話成り立つはずがない。会話なんてね、全く軽くて良い。話題によって重くても良い。語彙力なんてなくて良い。自分の気持ちをそのまま出せば良い。だからね、言わせてもらうけど、なんでそっちに行っちゃったの。